紛争地域から生まれた演劇5

2013年翻訳上演作品1

アフガニスタン戯曲
『修復不能』
原題『Infinite Incompleteness』
作=アフガニスタン人権民主主義連盟 翻訳=後藤絢子、翻訳監修=村山和之


(写真は『修復不能』、アフガニスタン人権民主主義連盟(AHRDO)禁無断使用)

作品の背景

『修復不能』は、アフガニスタンで根強い免責の風潮に抗してアフガニスタン人権民主主
義連盟(AHRDO)が製作したものである。何百万人もの犠牲者を出した30年以上に及ぶ暴力
的紛争の後、数多の人権侵害に対する説明責任は果たされておらず、犠牲者は口かせをさ
れたままだ。これでは真実が周知されるはずもない。実際、アフガニスタンでは、トランジショナ
ル・ジャスティス(TJ)(正義を求める活動のこと。「移行期の正義」「移行期の司法」とも言う)を
めぐる議論も大枠でタブーとされていて、議論を進めようとする者が虐待や嫌がらせを受ける
ことは珍しくなく、時には死に至ることもある。

実は、共同体ベースの演劇こそ、これまでこの国で行われてきた人権侵害に関する沈黙を破
るためのもっとも有効な手立てなのである。2008年初頭より、のちにAHRDOのメンバーとなっ
た人々は、戦争の犠牲者を扱った演劇を普及させるために大いに貢献している。トランジショ
ナル・ジャスティスをめぐる北アイルランドの作品『AH6905』(デイヴ・ダガンDave Duggan=作)
もその一つで、アフガニスタン国内12の州で上演された。この作品は、数ある抑圧された人々
の演劇作品のなかでも、また、プレイバック・シアター(人々が語る喪失や戦争にまつわるエピ
ソードや体験談にもとづいて創る演劇様式)のなかでも、先駆的な作品である。こういった演劇
活動に共通しているのは、アフガニスタンの犠牲者たちが集まって、現在的な視点から過去を
分析するための場を提供しているということだ。彼らは、じっさいに起こった出来事に対してど
のように対処すべきか草の根的な戦略をたてることで、もっと幸せで正義あるアフガニスタンの
未来をつくるための立役者になる。

『修復不能』は長きにわたり苦心して作り上げた作品である。体験談を聞いてスクリプト
(台本)を起こすために、アフガニスタンの犠牲者たちを各地域から集めた。20を超える作品の
なかで語られた120の体験談の中から10個のエピソードを選び、戯曲にふさわしいことばにす
る。そしてそれを、アフガニスタンの民族的・言語的な違いを考慮して書き改め(アフガニスタン
では主に3つの言語が用いられている。この作品に登場する3人の人物は、それぞれ異なる3
つの言語を用いる)1978年から現在に至るさまざまな紛争にもとづいて構成された物語の中に
収める。この戯曲には男性だけではなく、女性の声も意識的に取り込んでいる。犠牲者たちの
生(なま)の声は、登場人物によって演じられる虚構の過去・現在・未来に取り込まれて、観客
に伝えられる。さらに、アフガニスタンやイランの新しい詩と音楽を用いることで、本作の観客、
すなわち、おびただしい数のアフガニスタンの戦争犠牲者たちを強く刺激し、共感を呼ぼうとし
ている。


これまでの公演
『修復不能』は2010年、人権の日にカーブルのリセ・イスティクラールLycee Estiqlalにて
初演されたのち、アフガン国内のさまざまな地域で上演を重ね、多くの観客を得た。さらに当作
品は2011年11月、アメリカでの公演も果たした(ワシントンD.C.の大学およびニューヨークのヘ
レン・ミルズ劇場)。

戯曲概要

『修復不能』は過去30年の間にさまざまな紛争によって親族を失くした男女10名のエピソ
ードを伝えるものである。それぞれのエピソードは、逐語的に(エピソードを残した方が語ったま
まに)3人の匿名のアフガンの男たちによって語られる。この男たちはナショナル・カラー(赤、
緑、黒の3色)の衣装を着ており、それぞれアフガニスタンにおける3つの主な民族、パシュトゥ
ーン族、タジク族、ハザーラ族を代表している(第四の民族であるウズベク族は2つのエピソー
ドに登場する)。エピソードはそれぞれの固有の言語であるパシュトー語、ダリー語(アフガニス
タンで用いられるペルシャ語の方言)、ハザーラギー語で語られる。3人の男のうち、誰かが自
分の民族のエピソードを語っている間、他の登場人物は死体を掘り起こしたり、[煉瓦を積み上
げて]国を建てなおしたり、(比ゆ的に)戦争の重荷を運んだりと退屈で骨の折れる作業を繰り
返し行っている。舞台奥ではアフガニスタン人女性、カーブルのブーティーマールButimar-e
Kabulが憑かれたように死者を数えている、数え終えるごとに、その死者の写真を暖炉(ボコ
リ)にくべる。彼女は身重で、ひとつの紛争中に子どもをふたり失っている。

冒頭、3人の男たちは互いの歴史の話に尊敬の念を持って耳を傾けている。しかし次第に怒り
をつのらせ、沈黙を試みるようになる、そしてついに彼らの苦しみの矛先を、相手を死に至らし
めるほどの暴力へと向ける――アフガニスタンのまがまがしい過去のなかで自らがこうむった
ことと同じことをしている。3人の男たちはカーブルのブーティーマールをのこして死ぬ。ブーティ
ーマールは、3人の遺体を埋めるとすぐ、死と崩壊のただなかに子どもを産む。そして、不意に
子どもを捨てようという考えにおそわれ、かつて子どもたちを守れなかったわが身を責めようと
するが、やがて、生まれたばかりの子どもへの母の愛と正義への渇きを表明する。この戯曲
は、ブーティーマールによる犠牲者のマニフェスト朗詠で締めくくられる。過去の責任を問い、
われわれ人間はいつか、美しく変わるための道を見つけるのだという強い信念を謳うものであ
る。

詩について

作品中には3つのペルシャ語による詩が用いられ、すべてカーブルのブーティーマールによっ
て詠まれる。はじめの詩はイランの著名な詩人、アフマド・シャムルー(1925−2000)による。
「The Bat」はペルシャ語で暗闇や閉ざされた空間の暗喩として用いられる。この詩を通してシ
ャムロは表現と創造の場が存在しない独裁の世界を描いた。この状況を変えようとする志士
が出ず、彼はついに自己検閲出版を用いて現状を受け入れた。

二つ目の詩はよく知られたアフガニスタンの詩人、ハーフィズッラー・シャーリアーティー・サハ
ールによるもので、罪のない男たちと女たちがその死を誰にも知られることなく共同墓地に埋
められる様子を描いている。ある日ついに、だれかと話すことができたなら、死者はこんな要
求をするだろう。このようなことがあれば、死者を起こすだけではない、生きているものをも目
覚めさせるだろう。

三つ目の詩はフォロー・フォロフザード(1935-1967)による。有名なイランの女性詩人である。
長編の詩「だれにも似ていないだれか」より抜粋した。

演出家について

ヤルマー・ホルヘ・ジョーフリ=アイヒホルン(ボリビア/ドイツ)は2007年初頭よりアフガニスタ
ン在住、在勤。AHRDO共同創設者。現在、テクニカル・アドバイザー。

AHRDOについて

アフガニスタン人権民主主義連盟(AHRDO)は2009年初頭にアフガンの人権および市民社会
の実現を求める活動家たちによって創設された独立NGO/NPO団体で、アフガン社会におけ
る少数派のセクターと強く結び付いている。アートや演劇を主とした活動を通して草の根からの
社会の抜本的改革の場を創造し、対話および平和構築、正義、市民の社会参加、民主化や
非暴力の文化、そして人権尊重の促進に貢献している。


(翻訳:後藤絢子)